日本政府は、金学順さんら日本軍の「慰安婦」にされた女性たちが日本政府を相手に損害賠償請求裁判を提訴したのと時を同じくして、1991年12月から各省庁に残されている資料を調査しました。そして、第1次調査の結果は「加藤談話」の際に、第2次調査の結果は「河野談話」の際に発表しました。
第1次調査結果は、警察庁、防衛庁、外務省、文部省、厚生省、労働省(いずれも当時)に調査依頼をしたにもかかわらず、警察庁と労働省からは0件で、防衛庁70件、外務省52件、文部省1件、厚生省4件の174件でした。この結果をもとに、1992年7月6日、加藤官房長官は「朝鮮半島出身のいわゆる従軍慰安婦問題について」と題した談話を発表しました。しかし、研究者がすでに発見していたものも多く、不十分な調査結果に多くの批判がなされました。
政府はその後、調査対象機関に法務省、国立公文書館、国立国会図書館、米国国立公文書館を加え、第2次調査では「慰安婦」にされた被害者、元軍人を含む関係者からの聞き取りを行い、国内外の文書・出版物も参考にした調査を実施しました。そして1993年8月4日、河野官房長官は、その調査結果とともに、「慰安婦関係調査結果発表に関する内閣官房長官談話」を発表しました。
河野談話の後も研究者や市民団体による防衛庁防衛研究所図書館での発見が続き、国会でも追及を受けた日本政府は1996年、各省庁に「慰安婦」関連文書を発見した際には提出するように求める通達(「いわゆる従軍慰安婦問題に関連する資料等について(依頼)」通称、平林通達)を出しました。発見された関連文書のなかでも、警察庁が所有していた文書は大変重要な文書群で、当時の内務省がどのように「慰安婦」の募集に関与しているのかがわかるものでした。
政府が認定した「慰安婦」関連文書の公開については、日本政府が設置した民間基金「女性のためのアジア平和国民基金」(以下、国民基金)が担いました。所管官庁や保管場所等ごとに整理して説明をつけて、『政府調査「従軍慰安婦」資料集成』(国民基金編、全5巻、龍溪書舎)を1997~1998年にかけて発刊しました。しかし、書籍はセットで10万円と高価なものでした。その後、国民基金のウェブサイトで書籍のPDFが公開されるようになりましたが、1冊を丸ごとPDFに変換したものの中から目的の公文書を探し出すのは困難で、利便性のいいものではありませんでした。
日本政府は河野談話後も「慰安婦」関連資料を認定していたようですが、その認定の過程や結果は広く知らされて来ませんでした。文書の作成日付は定かではありませんが、小林久公さんが情報公開請求で入手したリストによると、62点の文書が河野談話後に認定されています。当然ながら『政府調査「従軍慰安婦」資料集成』に含まれていないものもあり、公開が不完全であることがわかりました。
2014年6月2日、第12回日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議は、日本政府に「河野談話後に発見された公文書」のリストと複写を提出しました。これは、日本政府が「河野談話までに公表された文書」に限って日本軍「慰安婦」に関連する認識を閣議決定するなど、河野談話後の研究を日本政府が無視していたからでした。
このウェブサイトにおける政府未認定公文書は、上記の「河野談話後に発見された文書」リストから、「政府認定済文書」を削除したものです。なお、プロジェクトの過程で、他にも政府未認定の「慰安婦」関連文書が多々あることが判明しましたが、原本入手、確認等には時間を要するため、今般のプロジェクトでは追加していません。
日本軍関係資料の多くは国立公文書館アジア歴史資料センター(https://www.jacar.go.jp/ )において、デジタル化・公開が進んでいます。今回のプロジェクトにおいて、日付、資料名、簿冊等の不足情報を補うためにアジア歴史資料センターで資料の閲覧を試みたところ、いくつかの資料が非公開となっていることが判明しました。簿冊の表紙以外のすべてのページが一括して「個人情報保護」等の理由で非公開となっている場合もあれば、特に何の断り書きもなく資料の一部分が欠落している場合もありました。すべてを確認したわけではありませんが、それらの多くは、東南アジアなど占領地における日本軍兵士の対住民犯罪に関する報告等の資料でした。
個人名は重要な情報源で、それによって国籍や民族などがわかります。プライバシーの保護は重要ですが、例えば個人名の一部を黒塗りするなどによっても対応が可能であるところを、全て非公開としてしまうことは、歴史研究の発展に大きな制約となるおそれがあります。
wamのウェブサイトでは、個人名の記載があるものも含めて、過去に公文書館等が公開したものは、そのまま公開することにしました。アジア歴史資料センター等、国が所管する公文書館等においても、今後の公開を期待します。
第1次政府調査は以下のように軍の関与のありように基づいて分類されていました。
1)慰安所の設置に関するもの当時、日本軍および政府がどのように慰安所設置や運営に関わったかを示す意味では有効だったと考えられますが、ひとつの文書が複数の関与を示すために、いくつかの分類に重複して登場する場合もありました。
一方、第2次政府調査は、所管の省庁や保管場所によって分類されました。すなわち、防衛庁関係、法務省関係、外務省関係、文部省関係、国立公文書館関係、国会図書館、米国国立公文書館です。しかし、国立公文書館には各省庁から移管された軍や内務省の資料もあります。その後の認定でも、同様に所管の省庁や保管場所による分類が行われていますが、英国国立公文書館に所蔵されている文書は英軍に接収された日本軍の文書であるなど、文書作成時の管轄と保管場所が異なる事例も出てきました。
そこで今回wamの分類では、現在の文書の所管官庁と保管機関といった日本政府の分類の形跡を整理番号で残しつつ、文書作成者である内閣、警察、外務、軍など、文書の作成者ごとの分類を大きな塊にして通し番号を付しました(凡例参照)。通し番号と日本政府分類番号を見れば、どこが作成し、どこが所管している文書なのかがおおよそわかるようになっています。
どのように分類し、並べるかは難易度の高い作業ですが、今後、政府未認定公文書も含めて、わかりやすい分類を考えていきたいと思います。
加藤談話時 (1992.7.6) | 河野談話時 (1993.8.4) | 河野談話以降 | 合計 | wam整理番号 | |
---|---|---|---|---|---|
警察庁 | 0 | 0 | 2 | 2 | K_P |
防衛庁(当時) | 70 | 47 | 50 | 167 | K_D |
外務省 | 52(115) | 16(43) | 0 | 68(158) | K_F |
文部省(当時) | 1 | 1 | 0 | 2 | K_E |
厚生省(当時) | 4 | 0 | 1 | 5 | K_H |
労働省(当時) | 0 | 0 | 0 | 0 | |
法務省 | 0 | 2 | 0 | 2 | K_J |
国立国会図書館 | 0 | 17 | 1 | 18 | K_L |
国立公文書館 | 0 | 21(29) | 3 | 23(31) | K_A |
米国国立公文書館 | 0 | 19 | 1 | 19 | K_US |
英国国立公文書館 | 0 | 0 | 4 | 4 | K_BA |
合計 | 127(190) | 123(158) | 62 | 312(410) |
政府未認定公文書の分類カテゴリーは、2015年8月4日に「河野談話後に発見された公文書」としてwamのウェブサイトに掲載した際の分類カテゴリーを踏襲しています。これは、作成者(外国軍、外国政府、日本軍、日本政府、その他)と所管官庁や所蔵機関を組み合わせたもので、整理番号を見ればわかるようになっています。
資料分類 | 整理番号 | 所蔵機関 | 内容 |
---|---|---|---|
外国軍関連資料 | FM | 米国国立公文書館、オーストラリア国立公文書館、オランダ国立公文書館 | 連合軍暗号解読電報、連合軍翻訳文書、米海軍沖縄軍政司令部写真記録、米軍捕虜尋問カード、オランダ軍情報機関(NEFIS)尋問報告等 |
外国政府資料 | FG | 中国山西省档案館ほか | 対日抗戦損失調査統計資料、オランダ政府調査結果等 |
戦犯裁判資料 | MT_tt | 国立公文書館、国立国会図書館 | 東京裁判資料 |
MT_bc | オランダ国立公文書館、米国国立公文書館、中国中央档案館 | BC級裁判資料(オランダ裁判、グアム裁判、中華人民共和国特別軍事法廷) | |
日本軍/政府資料 | J | 防衛省、警察庁、外務省外交史料館、国立公文書館、国立国会図書館、韓国政府記録保存所、英国国立公文書館、台湾中央研究所 | 日本軍・日本政府関連資料 |
J_C | 最高裁判所、長崎地方裁判所 | 日本の裁判所判決(大日本帝国憲法下の国外移送誘拐被告事件大審院・高裁・地裁判決、戦後補償裁判判決における事実認定) | |
J_J | 国立公文書館(法務省・厚労省移管分) | BC級裁判・戦犯関連資料(オランダ裁判、中華民国裁判、アメリカ裁判)、終戦後軍法会議判決(厚生労働省保管) | |
その他資料 | J_tw | 台湾省文献委員会 | 台湾拓殖株式会社関係資料 |
J_ch | 天津档案館 | 日本軍占領下における天津特別市政府警察局公文資料 |