出典種別 | 被害証言 |
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現在の地域情報 | 地名特定不可能 |
資料にある地域情報 | 台湾 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 1937 年、15 歳の時に糸工場に就職できるという話だったに、慰安所に連れて行かれ、中国、台湾、インドネシア、フィリピンと7 年間、軍人の相手をすることを強要されました。慰安所では「フジコ」と呼ばれ、部隊から部隊へと、飯盒と毛布、水筒を抱えて渡り歩きました。お腹がすいても、おにぎりを1つもらえるのがやっとで、毎日、泣いて暮らしました。水も無く、顔を洗った水で洗濯しました。昼も夜も軍人がやって来て、外からはドカンドカンと爆発音が聞こえ、怖くて仕方がなかったです。思い出すだけでぞっとします。 |
証言者 | 金其兒 |
証言者属性 | 朝鮮人被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | 【証言調査】日本軍慰安婦ハルモニと共に行動する統営巨済市の会 |
著者、公文書発信者など | |
公文書宛先 | |
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出典備考 | 聞き取り日要確認。 |
備考 |