| 出典種別 | 被害証言 |
|---|---|
| 現在の地域情報 | チューク州 ファイチュク諸島 ダブロン島 |
| 資料にある地域情報 | トラック島 夏島 |
| 慰安所があった時期 | 1932年3月17日 |
| 記載内容 | 「横浜を出て神戸に寄って、それから韓国の釜山で、韓国の女性もかなり乗船しました。・・・志願ではなかったようで・・・『アイゴ、アイゴ』と泣くのがなんとも悲しく・・・つられて泣き出しましたよ。」・・・女たちは「士官用」と「兵隊用」に区別され、士官用だった菊丸たちは”営業用”の宿舎ができていなかったため、約一週間を沖縄人経営のクラブ『南海』で過ごす。兵隊用の女たちは『第一南月寮』『第二南月寮』の二軒にわけられ、翌日から営業開始というあわただしさであった。・・・兵隊用の女性や民間の慰安婦と違って「一日一人」と決められており、・・・船が寄港した時に忙しくなるていどであった。「将校用は約30名くらいで、一人一人が何人かずつの”恋人”を持っているような感じで、少しもイヤな気持ちなんかありませんでした」 |
| 証言者 | 山内馨子(菊丸) |
| 証言者属性 | 日本人被害者 |
| 部隊名 | |
| 資料タイトル | アサヒ芸能 |
| 著者、公文書発信者など | |
| 公文書宛先 | |
| 発行日 | 1971.8.12 |
| 発行所 | 徳間書店 |
| ページ | 36-37 |
| 出典備考 | 戦場の芸者:菊丸が26年目に明かす波乱の人生 『週刊アサヒ芸能』1971年8月12日 |
| 備考 | 注:菊丸の写真。 |