| 出典種別 | 兵士の回想録等 |
|---|---|
| 現在の地域情報 | ニューアイルランド州 カビエン |
| 資料にある地域情報 | カビエン |
| 慰安所があった時期 | |
| 記載内容 | 私達がカビエン上陸当時、支那人街の西方にカビエン荘という慰安所があり、そこに私と同郷の人が居り、一四根病院での検診の際思いがけなく会って、故郷の話を交わすようになったが、2月11日のカビエン大空襲の際、敵ノースアメリカン機が彼女達の宿舎に墜落し、為にカビエン荘は焼野原となり、彼女達は内地へ帰ることになったので、私は故郷の父母に元気で居る旨の伝言を頼みましたが、ラバウル最後の輸送船で航行中、ニューハノバー沖で撃沈されたことなど、限りない思い出の数々が脳裏に去来します。 |
| 証言者 | 西山正利 |
| 証言者属性 | 日本軍兵士・医務隊看護長 |
| 部隊名 | 52防空隊 |
| 資料タイトル | 五十二防空隊員の戦記 |
| 著者、公文書発信者など | 第五二防空隊員 |
| 公文書宛先 | |
| 発行日 | 1977.9.1 |
| 発行所 | 全日本同愛会 |
| ページ | 226 |
| 出典備考 | 西山正利「傷病との戦い」 |
| 備考 |