| 出典種別 | 兵士の回想録等 |
|---|---|
| 現在の地域情報 | 天津市 |
| 資料にある地域情報 | 天津 |
| 慰安所があった時期 | |
| 記載内容 | 4月25日 眼を覚ましたのが、もう天津。総站に列車が停まり、11時まで外出を許可された。それとばかり駅前に飛び出した。バスで、洋車で日本租界へ走らせるものが多い。さすが天津の駅前通り、大廈高楼入居並び、大きな支那看板が目に付く。分隊の者と一緒に歩き出した「どこへ行こう」時間が刻々と過ぎていく。日本租界へ行くには時間が少ない。駅前をぶらつく。 朝鮮料理は、まだ寝込んでいるらしい。ピーが寝巻きで飛び出してくる、見られた態ではない。東楼でみんなが遊んで帰ってくる。もう少し時間があれば、洋車で市内健物に出ていくのに、もう天津もさようなら。 |
| 証言者 | 高島市良 |
| 証言者属性 | 日本軍兵士 |
| 部隊名 | |
| 資料タイトル | 日中戦争従軍記 従軍日記より |
| 著者、公文書発信者など | 高島市良 |
| 公文書宛先 | |
| 発行日 | 2001.2.3 |
| 発行所 | 私家版(三重県阿山郡) |
| ページ | 221-222 |
| 出典備考 | |
| 備考 | 天津市は北京市の南東にある。 |