| 出典種別 | 兵士の回想録等
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| 現在の地域情報 | 北スマトラ州 シマルングン県 プマンタン・シアンタール |
| 資料にある地域情報 | スマトラ島 シャンタル |
| 慰安所があった時期 | 1943年11月 |
| 記載内容 | これもまだ、行李班在籍中のことだったと思う。或る日曜の外出日に、病院内の電話交換台の当番を命ぜられたことがあった。外出したからといって、飲みたいような酒があるではなし、慰安所などとは金輪際縁のないボク、1日のんびりと交換台の前に座っているのも悪くはないと観念した。・・・珍しく電話のベルが鳴った。大急ぎで受話器を頭からかぶると、いきなり大きな女の声がした。「××軍曹喚んでよ。薬剤の××軍曹!」軍曹の名前はすっかり忘れたが、言葉のイントネーションからして、間違いなく慰安所勤めの半島女性だ。ともかく線を繋いでその軍曹を喚び出した。「どうして今日来てくれないの」「今日は、日直で外出できないんだ」・・・ |
| 証言者 | 萩谷朴 |
| 証言者属性 | 日本軍兵士 |
| 部隊名 | |
| 資料タイトル | ボクの大東亜戦争 心暖かなスマトラの人達、一輜重兵の思い出 |
| 著者、公文書発信者など | 萩谷朴 |
| 公文書宛先 | |
| 発行日 | 1992.7.1 |
| 発行所 | 河出書房新社 |
| ページ | 92 |
| 出典備考 | |
| 備考 |
『大東亜南方圏地図帖』の北スマトラのトバ湖北東にペマタンシアンルがある。現在の地図のペマタンシアンタルPematang Siantarと思われる。当時からペマタンシアンタルがこの付近の町(市)名だったが、日本軍はシアンタルと簡略して使用していたものと思われる。
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