出典種別 | 兵士の回想録等 |
---|---|
現在の地域情報 | ヤンゴン管区 ヤンゴン東部県 ボタタウン郡区 |
資料にある地域情報 | ラングーン 基督教青年会館 |
慰安所があった時期 | 1942年5月 |
記載内容 | ラングーン市内に基督教青年会館がある。朝鮮の女子部隊が到着して、その女子部の全館が女郎屋になったのは、10日ばかり前からで、屋上から幅3尺ぐらいの長い布を垂らし、その幅いっぱい、墨色もあざやかに、「アリラン部隊来たる」と書いてある。料金は兵隊50銭、尉官1円、佐官クラスが1円50銭である。兵隊は週2日、水曜と日曜に、昼からそこへ行くことが許されていた。その最初の日には、1人の女が50人から70人を相手にした、というような話も伝わっていた。・・・ 憲兵がその売春窟に手入れして、女たちを何処かへ連れて行ったのである。「いけないというのかね、そういう商売が。それがいけないなら、アリラン部隊だって、よくないじゃないか」「アリラン部隊は公許だ。女郎屋の亭主が軍と結託して、ひと儲けに乗り出して来たのだからね。ああいう私娼をバッコさせては、公許の女郎屋の亭主の儲けが、うすくなる。うすくなっては、軍として申訳がない。そこで手入れとなるのは、当然の成行だ」「女郎屋の亭主の利得を、軍が保護するということか」 |
証言者 | 榊山潤 |
証言者属性 | 日本軍報道班員(航空部隊) |
部隊名 | |
資料タイトル | ビルマ日記 |
著者、公文書発信者など | 榊山潤 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1963.9.25 |
発行所 | 南北社 |
ページ | 184-185, 194 |
出典備考 | |
備考 | 基督教青年会館は、ヤンゴン管区のボタタウン郡区にあった。現在の地図のヤンゴン市の南部(ヤンゴン川を遡ると大きく二つに分岐する箇所があるが、その北岸沿い)にBotahtaungがある。/参考資料:『ビルマ(ミャンマー)に残る性暴力の傷跡』(「従軍慰安婦」問題を考える女性ネットワーク編1998.1)の16pに「①YMCAビルディング」の写真が掲載されている。ここが榊山の報じた基督教青年会館である。 |