記載内容 | 3ヵ月ぶりにラングーンに帰って僕はその復興ぶりにまず驚いたが、同時にラングーンが印度人の街であり、ビルマ人の街でないことを発見して二度驚いた。・・・三度びっくりしたことは陸海競って専用料亭を持ち、日とともに日本の女の子が殖え、いやな言葉だがいわゆる慰安所という、お女郎屋が雨後の筍のようにニョキニョキ出来てゆくことだった。そのお職は、なんといっても陸軍の星の旦那方が御専用の粋香園に止めをさす。こいつがラングーンに進出したことについてはこんなことが、まことしやかにいわれていた。粋香園というのはかつての軍都久留米の料理屋で、例の割腹自殺をした杉山元帥が久留米の師団長時代にごひいきにしていた家だとかで、大の客筋の師団はなくなる。統制統制でにっちもさっちもゆかなくなって、廃業の御挨拶におやじが元帥邸に伺候したところまあもう少し待て、俺が、いい口をさがしてやるということになった。それから間もなく戦争がはじまる、直ぐ上京せよということで、お前ラングーンに行けということになったのだと。ありそうなことだ。それはともかくとして、ラングーン一流のクラブをいただいて、そこに陣取ったこの一隊は総勢百五十名になんなんとする大部隊で、芸者、雛妓はもとより女中、下働き、料理番。これまではわかるがあとが凄い。髪結いさんに三味線屋、鳴物屋、仕立屋に洗張屋にお医者さんまで、これが婦人科兼泌尿科医であることはもちろんのことだ。それに青畳、座蒲団、屏風、障子、会席膳一式まで海路はるばる監視哨つきの御用船で、つつがなくラングーンに御到着になったのだ。 |