出典種別 | 兵士の回想録等
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現在の地域情報 | ヤンゴン管区 ヤンゴン西部県 ダゴン郡区 |
資料にある地域情報 | ラングーン |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 方面軍では、そのうえにアキャブ戦線が赤信号だから“いても立っても”いられなかったはずなのに、ラングーンの翠香園では連日連夜、弦歌だか蛮歌だか、えたいの知れないシロモノが、さんざめいていたらしい。その尋常でない、“あり方”のかなたにこそ、インパール作戦の謎が隠されているように、筆者には思われてならないのである。 |
証言者 | 越智春海 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | ビルマ決戦記 地獄の山野に展開した34万将兵の肉弾戦 |
著者、公文書発信者など | 越智春海 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2011.12.19 |
発行所 | 光人社 |
ページ | 106 |
出典備考 | 本資料は光人社NF文庫。単行本は「ビルマ最前線」1985.4図書出版社刊。 |
備考 |
翠香園に関する記述。「アキャブ戦線が赤信号」とあるので、1944年ごろか。ラングーンはビルマ南部にある。現在の地図ではヤンゴンである。/参考資料:『ビルマ(ミャンマー)に残る性暴力の傷跡』(「従軍慰安婦」問題を考える女性ネットワーク編1998.1)の表紙に「将校クラブ「翠香園」」の写真が掲載され、「現在は退役軍人のための施設となっている」とのキャプションがつけられている。
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