出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | タニンダーリ管区 コータウン県 コータウン郡区 |
資料にある地域情報 | ビクトリアポイント |
慰安所があった時期 | 未記載 |
記載内容 | カンポンタローで訓練の合間にF軍曹から雑談としてきかされた話である。ポイントの慰安婦達の前身は、やはり暗い戦火の影をひきずっていた。世の中、色気と喰い気を抜きにしては成り立たぬ。戦友たちにも、いろいろのことを克明に記憶している人がいる。慰安所には中国系華僑の中年の「艶子」と、うら若い「照子」ビルマ人の「トシ子」がいたといい、「私は照子のファンだった」ときき、驚きであった。その照子はまだあどけなさを残す少女のような感じであったらしい。いつの時代でも戦争の犠牲になるのは女性と子供と老人である、F軍曹は「彼女たちは生活に困って売春婦になったのではない、彼らは共産匪賊討伐の所産だ」と、こともなげに語った。 |
証言者 | |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | ビクトリアポイント部隊 |
資料タイトル | JSP・南ビルマ放浪記 |
著者、公文書発信者など | 石丸良夫、長野卓爾編纂 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1991.10.20 |
発行所 | ビクトリアポイント戦友会 |
ページ | 39-40 |
出典備考 | |
備考 | ビルマ最南端(主に英国統治時代)がビクトリアポイントと呼ばれていた。現在の地図のコータウンである。 |