出典種別 | 目撃証言
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現在の地域情報 | パゴー管区 ピイ県 シュエダウン郡区 |
資料にある地域情報 | シュエダウン |
慰安所があった時期 | 未記載 |
記載内容 | 日本人と朝鮮人の慰安婦がそれぞれ産んだ子供2人を育てた。彼女たちはシュエダウンに残って尼になることを隊長に願い出たが許されなかった。子供をかならず迎えにくるからといって泣いていた。1人の子供は10ヵ月で死んだ。もう1人の子供が8歳のとき草を抱えた日本人男性が来て、その子供の頬を撫でていた。その子も食べたものを吐いて死んでしまった。医者を呼びにいこうとすると私のロンジー(腰巻きスカート)を引っ張って、「行かないで」と言ったのが最後だった。 |
証言者 | ドウ・ソーキン |
証言者属性 | 慰安所の前に住んでいた住民、75歳 |
部隊名 | 第55師団第8418部隊 |
資料タイトル | ビルマに残る性暴力の傷跡-日本軍慰安所について現地調査報告 |
著者、公文書発信者など | 「従軍慰安婦」問題を考える女性ネットワーク |
公文書宛先 | |
発行日 | 1998.1.31 |
発行所 | 私家版 |
ページ | 19 |
出典備考 | 注:ドウ・ソーキンさんの住む家の前の家が慰安所として使われた。本資料にはその家の写真が掲載されている。またその慰安所には次の落書きが書かれていた。「神タナ下二有リ小便スルナ豆ツプレルゾ」「下二神タナ有リ小便スルナサオマガルゾ」戦後この家に戻った家主は珍しい日本語を消さずに大切に保存しているという。 |
備考 |
ドウ・ソーキンさんの住む家の前の家が慰安所として使われた。本資料にはその家の写真が掲載されている。
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