出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | ラカイン州 サンドウェ県 タンガップ郡区 |
資料にある地域情報 | タンガップ |
慰安所があった時期 | 1943年3月 |
記載内容 | 間もなく私は宮川中尉と共にプローム野戦倉庫の視察に出掛けた。野戦倉庫はプロームの町外れにあったが、倉庫内にはぎっしりと缶詰めの荷が積み上げられていた。物がなかった第一線しか知らなかった私には、珍しく、また驚きであった。だが、プローム北方のエナンジョンやポパ山付近では、早くも進撃してきた英印軍を迎えて壮、貫徹兵団との間で激戦を交えていた。このため歩兵や砲兵などの第一線部隊は前線に出払って、プロームは、死の町のような静けさである。町を歩くと、軍指定の慰安所をみかけた。遊びに訪れる兵もなく、大勢の若い娘たちが口紅をつけて身を持て余しているように思えた。私には2年目に出会う彼女達である。思えば18年3月プロームからアラカン山脈を越えてタンガップに到着したとき、前線にも近いタンガップやアキャブまで慰安所が進出していた。日本女性ばかりでなく中国や韓国などの女性が連れて来られているのである。 |
証言者 | 工藤四郎 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 草むす屍 |
著者、公文書発信者など | 工藤四郎 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1990.2.1 |
発行所 | 私家版(徳島市) |
ページ | 137-138 |
出典備考 | |
備考 | 現在のビルマの地図の西海岸寄りにタウングプToungupがある。ピイ(プローム)から西方にアラカン山脈を越えた海岸付近にある都市である。ここが証言のタンガップである。ちなみにアジア歴史資料センター:C141060191800のビルマ50万分の1の地図の同所はタアンウプである。本資料の139pの地図のタンガップはこのタウングプ、タアンウプの位置である。 |