出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | マグウェ管区 マグウェ県 イェナンジャウン郡区 |
資料にある地域情報 | エナンジョン |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 前線より朝鮮人の7慰安婦が帰って来た。「病気だが、兵隊の部屋にいれるわけにも行かないので、ここに置いてくれませんか?」と衛生兵から話があった。少々困るが、仕方がないので、入ってもらうことにした。朝鮮慰安婦は3人、兵隊のオンボロ服を着た彼女らは、御世辞にも美しいとは言えないが、気の置けない女たちだった。・・・彼女らは狼〇三部隊、通称克部隊と共に転進してきたのだ。克部隊と一緒にエナンジョンを出て、レッセの戦いから、アラカン山脈突破、湿地帯の行軍、シッタン河の渡河……そしてやっと病院に辿り着いたらしい。転進中に動けなくなって、死んだ友のことをしきりに話す。・・・一番年配の女は27,8歳、会計係で、客は取らなかったと話していた。学校へ日本軍の慰問に行く人を募集に来た。歌も踊りも、何も特技もないので、断った。だが、若い女性なら兵隊は喜ぶから、別に何もしなくても、来るだけでよいと言われて応募したが、現地に着くと慰安婦にされたと言う。「私たちは騙されて連れて来られたんです」と話すのを聞き、絶句した。「生家は、朝鮮の田舎では一番大きく有力者です」と話す。 |
証言者 | 三島四郎 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | ピカピカ軍医ビルマ慮因記 |
著者、公文書発信者など | 三島四郎 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2000.7.27 |
発行所 | 元就出版社 |
ページ | 48-49 |
出典備考 | |
備考 | 現在の地図のピイ(プローム)の北方、イラワジ河の東に「イェナンジャウン」がある。証言のエナンジョンである。 |