出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | マンダレー管区 マンダレー県 マンダレー郡区 |
資料にある地域情報 | マンダレー |
慰安所があった時期 | 1944年頃 |
記載内容 | ビルマでは、マンダレーにいました。マンダレーはラングーンに次ぐ前線拠点で出発、補給などの重要な中継基地でした。ですから、いつもかなりの部隊が駐屯、通過していました。慰安所は、主要な都市には全部あったと思いますが、マンダレーにも現地の建物を接収した総2階建のような慰安所がありました。ここには、現地人(ビルマ人)が30~40人ぐらい、朝鮮人が15人ぐらい、日本人が10人ぐらいの慰安婦がいたようでした。私ども兵隊は昼間、夜になると将校が利用していました。兵隊の数が多いせいか、行列をつくって並ぶことはありませんでしたが、順番待ちでウロウロしていたことを憶えています。この他、「わかば」という喫茶店がありましたが、接客の女性は朝鮮人で、夜になると将校の専用になっていました。慰安所には、軍医が衛生兵を連れて定期的に検診に回っていました。慰安婦に対しては、1回につき1円50銭を支払うのですが、軍票だったので、仮に慰安婦が生きながらえても金としては役立たなかったはずです。 |
証言者 | 長野県 男 73歳 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 金沢の第51部隊 |
資料タイトル | 証言「朝鮮人従軍慰安婦」第二集 |
著者、公文書発信者など | 日朝協会埼玉県連合会編 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1993.4.15 |
発行所 | 日朝協会埼玉県連合会 |
ページ | 25 |
出典備考 | 証言「従軍慰安婦」―ダイヤル110番の記録―に同一の記述がある。 |
備考 | 『証言「従軍慰安婦」―ダイヤル110番の記録―』に同一の記述がある。 |