出典種別 | 兵士の回想録等 |
---|---|
現在の地域情報 | マンダレー管区 ピンウールウィン県 ピンウールウィン郡区 |
資料にある地域情報 | メイミョー |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | ミヨコがいった。 「マリ子、教育があるヨ。京城の日本人女学校に2年行った」 ミドリが茶碗とサイダー瓶を両手にさげて戻って来た。・・・ 「ははは。……幾つだい、マリ子は」 「18」 「わたし、22」とミドリ。 「いつこっちに来たんだい、マリ子は」 「1年半。メイミョーに半年いました。あそこが一番よかった。桜が咲いて、湖があって、パイナップルがありました」 |
証言者 | 藤井重夫 |
証言者属性 | 日本軍報道班員(陸軍) |
部隊名 | |
資料タイトル | 悲風ビルマ戦線 |
著者、公文書発信者など | 藤井重夫 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1971.8.15 |
発行所 | 番町書房 |
ページ | 244-245 |
出典備考 | 「永遠の哀号」という章の記述。 |
備考 | 雲南省・垃孟陣地の慰安所「ラモー会館」での報道班員の谷と慰安婦たちの会話。マリ子は特志看護婦と、騙されて慰安婦にされた。 |