出典種別 | 兵士の回想録等
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現在の地域情報 | マンダレー管区 ピンウールウィン県 ピンウールウィン郡区 |
資料にある地域情報 | メイミョー |
慰安所があった時期 | 1944年1月 |
記載内容 | その席上へ突然、着物姿の芸者が十数名あらわれた。メイミョーの清明荘という料亭の芸者たちであった。新年宴会には、くる予定にはなっていなかった。しかも、最もよい時機に、そろって姿を見せたのは、あらかじめ、だれかによって計画されていたからに違いない。官舎のなかは大さわぎとなり、将校たちは大いに酔った。夕方になって、参謀や将校たち十数名が、それぞれなじみの芸者と自動車に分乗した。自動車は数台用意され、そのなかには、ほろをはずした無蓋の車もあった。運転するのは自動車手の兵である。懸章を胸にさげた参謀と、着物の芸者が同乗しているだけでも人目についた。その車がつぎつぎとメイミョーの大通りを行進した。 |
証言者 | 小宮徳次 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 野戦高射砲隊第33大隊(森3893部隊) |
資料タイトル | 戦争と人間の記録・ビルマ戦・前篇 |
著者、公文書発信者など | 小宮徳次 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1978.3.10 |
発行所 | 徳間書店 |
ページ | 68-69 |
出典備考 | 小宮徳次が高木俊朗の『抗命』を引用して記述したもの。 |
備考 |
現在の地図のマンダレー東方にメイミョーMaymyoがある。ピンウールウィンPyin Oo Lwinとも呼ばれている。ちなみにアジア歴史資料センター:C141060191800のビルマ50万分の1の地図では「マイミヨ」とある。日本軍はメイミョウ、明妙などと呼んでいた。
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