出典種別 | 兵士の回想録等
|
現在の地域情報 | マンダレー管区 ピンウールウィン県 ピンウールウィン郡区 |
資料にある地域情報 | 明妙 |
慰安所があった時期 | 1944年 |
記載内容 | たまたま昭和19年春頃インパール作戦が始まり、第一戦で食糧も弾丸もなく日夜死の戦いでいる時、明妙の軍は清明荘の遊女にひたっている高官が私達の目に入っていた。その清明荘は治療部の目先にあり、大阪から来た飛田遊廓の経営で、司令部専用の料亭。大阪より家財全部軍用列車で持ち込んでの商売。女は大阪の一流の女性、金と物は内地以上の待遇、その中に閣下専用の女も内地より特別輸入した。その彼女当時21歳、八頭身で清明荘の美人。たまたま軍医部の大川中尉の診断で子宮外妊娠3ヵ月で健康を害し、手術の必要となり、佐藤軍曹の助手、準備は〇〇上等兵と私。来院した彼女、閣下の専用でありなかなかの強気のため、診断にも手術にもならず困った挙句軍医の命令通り、全身麻酔をかけて眠らせて簡単な掻爬が実施されたが、思うようにいかず次回に手術すると中止された。 |
証言者 | 興野義一 |
証言者属性 | 日本軍兵士・軍医 |
部隊名 | ビルマ派遣第121兵站病院 |
資料タイトル | 一軍医の見たビルマ敗退戦 |
著者、公文書発信者など | 興野義一 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1981.10.25 |
発行所 | 旺史社 |
ページ | 330-331 |
出典備考 | 著者略歴に「昭和18年10月東京軍医学校幹候隊卒、ビルマ派遣」とある。 |
備考 |
著者略歴に「昭和18年10月東京軍医学校幹候隊卒、ビルマ派遣」とある。
|