出典種別 | 兵士の回想録等
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現在の地域情報 | マンダレー管区 ピンウールウィン県 ピンウールウィン郡区 |
資料にある地域情報 | メイミョウ |
慰安所があった時期 | 1944年 |
記載内容 | 無限の物量、兵器を押し出して、反撃する米、英等に各地で玉砕または敗退の悲報のはいる19年となり、わが隊の本部、各小隊も北方へ上がり、本部も転々と位置を移した。マンダレー、メイミョウ付近のジャングルに設営、青竹で小屋を作るのはお手のもの、その中に慰安婦用も。ある午後、薪集めに藪に入り集めていると、やさしく、いらっしゃいの声、藪かげの慰安小屋だ。話すくらいいいだろうと竹縁に腰を下ろしての茶菓と2人の女、向こうが労るからこちらも労る。十分ばかり慰め合ったが、ことばには韓国なまりがあった。 |
証言者 | 証言者不明 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 陸上勤務隊国広隊 |
資料タイトル | 光地方史研究会創立三十五周年記念 市民が語る私の歴史体験 |
著者、公文書発信者など | 光地方史研究会 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2001.3.20 |
発行所 | 光地方史研究会 |
ページ | 92-93 |
出典備考 | 「従軍と敗戦」 |
備考 |
現在の地図のマンダレー東方にメイミョーMaymyoがある。ピンウールウィンPyin Oo Lwinとも呼ばれている。ちなみにアジア歴史資料センター:C141060191800のビルマ50万分の1の地図では「マイミヨ」とある。日本軍はメイミョウ、明妙などと呼んでいた。
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