出典種別 | 兵士の回想録等
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現在の地域情報 | マンダレー管区 ピンウールウィン県 ピンウールウィン郡区 |
資料にある地域情報 | メイミョウ |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | この予期せぬ自然現象の大歓迎にくらべて、第4野戦病院の同僚たちにうらやましがられた将校専用の「翠香園」は、なんとも阿保らしい限りの存在だった。翠香園は、九州にある大きな料亭の出店である。日本から派遣された芸者を20人あまりもかかえており、そのあでやかさといったら、とても前線にある兵士用の慰安施設の比ではなかった。俗に兵士たちが「ピー屋」と呼んでいる慰安所のことについては、すでに触れた。たしかに、慰安してくれる女性がおり、男性として欲情の吐け口にはなったが、要するに女の体がそこにあり、女体に重なって性を処理するという、ただそれだけの機械的な作業にしかすぎなかった。・・・それにくらべると、最後は同じく「突撃一番」の装着ではあっても、翠香園の夜は、それにいたる手順と状況がまるで違っていた。だいいち、この男のパラダイスへ、しっかり突撃一番を握りしめて、目ばかりギラギラ光らせて、せかせかやってくる客など1人もいなかった。まず酒を飲む。・・・酒席には芸者がつく。その芸者と、ねんごろになるのである。内地のお茶屋とまったく同じであり、内地のお茶屋といえば当時、よほどの御大家の旦那さんクラスしかシキイがまたげなかったのに、ここでは将校(少尉以上)であれば、だれでも迎えてくれるのである。まったく、軍隊天国といえた。むろん、私もメイミョウに到着して、かなり早い時期にこの軍用高級社交場を探検した。こちらの若さもあって、日本人芸者との一夜は、おおいに男として充実した。 |
証言者 | 石田新作 |
証言者属性 | 日本軍兵士・陸軍軍医大尉 |
部隊名 | |
資料タイトル | 悪魔の日本軍医 |
著者、公文書発信者など | 石田新作 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1982.8.15 |
発行所 | 山手書房 |
ページ | 138-140 |
出典備考 | 著者略歴に「昭和17年10月、陸軍軍医中尉としてビルマへ出征。昭和20年6月軍医大尉」とある。 |
備考 |
著者略歴に「昭和17年10月、陸軍軍医中尉としてビルマへ出征。昭和20年6月軍医大尉」とある。
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