出典種別 | 公文書・軍関係資料等 |
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現在の地域情報 | マンダレー管区 ピンウールウィン県 ピンウールウィン郡区 |
資料にある地域情報 | メイミョ |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | メイミョには何人かの慰安婦がいたが、自分は彼女達に会う機会はなかった。慰安所の利用料金は3円50銭ないしは5円だった。 |
証言者 | |
証言者属性 | 日本人捕虜 |
部隊名 | |
資料タイトル | SEATIC資料No.131 |
著者、公文書発信者など | 連合軍東南アジア翻訳・尋問センター(SEATIC) |
公文書宛先 | |
発行日 | 1945.4.28 |
発行所 | |
ページ | |
出典備考 | 『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』5巻、女性のためのアジア平和国民基金、1998.7.20、龍溪書舎、資料の概要紹介111, 本文175ページ/wam公文書サイト:K_US_SEA131 |
備考 | 現在の地図のマンダレー東方にメイミョーMaymyoがある。ピンウールウィンPyin Oo Lwinとも呼ばれている。ちなみにアジア歴史資料センター:C141060191800のビルマ50万分の1の地図では「マイミヨ」とある。日本軍はメイミョウ、明妙などと呼んでいた。 |