記載内容 | 7月頃町の一角に、トラック数台で日本女性がやってきた。但し内地人ではなく、少々アクセントのはずれた日本語を話す朝鮮女性で、慰安所(ピー屋)一角楼を27日に開設した。彼女らへの批判もあり、現住民が日本人を評価する上の一基準になるとか、厚顔無恥の恥さらしとか、大根足の醜悪な厚化粧とかいって軽蔑している者もいるが、黄(将官)赤(佐官)青(尉官)旗の車を乗り回して公然と酒色にふけり、夜昼外出外泊自由の将校連ならいざ知らず、戦地では僅か日曜1日しか外出できぬ兵隊は、性の解放にピー屋を利用する以外何ができよう。ラシオへの移動中ですら、或る下士官が小休止中、シャン人部落の粗末な住居に押し入り、養女を強姦し、憲兵がシャン人夫婦2人をつれて部隊へ乗り込んできた時、胸毛を剃り落とし、金の入歯を抜き眼鏡かけさせて変装し、やっと逃がした事件があった。広東出発以来数ヵ月の禁慾を強いられた欲求不満の致す所だが、「皇軍到る所、ピー屋あり」と言ってもまちがいなかった。・・・その一角楼の下田所長から、豪勢な初物を御馳走してもらった。それはセンウイに近い密林内で、轟々と落下する滝の断崖上に、毎夜虎が咆哮するのを、警備隊の兵隊が狙撃し、虎肉の一片を送って来たのだったが、臭くて硬く、いかにしてもおいしい代物とはいえなかった。 |