出典種別 | 兵士の回想録等
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現在の地域情報 | ザガイン管区 シュウェボ県 シュウェボ郡区 |
資料にある地域情報 | 中部ビルマ シェボーの郊外のセゴン村 |
慰安所があった時期 | 1944年 |
記載内容 | 前書が大変長くなりましたが、これが私にとって異常な経験でした。インパール作戦撤退後の軍司令部はしばらく、中部ビルマのシェボー郊外にある樹木の多いセゴン村に設営されました。この設営の仕事も管理部業務ですが、ふらふらになった負け戦の司令部がここに辿りついて、ほっと一息いれた頃、留守司令部のあるシャン高原の街メイミョウから、日本人女50名からなる『清明荘』と言う慰安所が乗り込んできました。この『清明荘』に対する管理・監督などが私の仕事となったのです。とまどいながらも軍務(?)に忠実に励めばはげむ程、情けない、みじめな自分を見出す生活が始りました。『清明荘』ーつとめて日本風に、そして私の宿舎とは、比べものにならない程立派な宴会場と、それの個室を持った一郭が、司令部設置地のはずれにつくられています。もちろん、私が着任前に撤退が始まった時に、設営隊はこれも一緒に作ったのです。そして、ここは将校以外はオフリミット。兵隊を使うわけにはいきませんから、私一人でやりくりするわけです。 |
証言者 | 神谷重雄 |
証言者属性 | 陸軍中尉 ジャワで現地人軍隊教官 |
部隊名 | 出身原隊静岡歩兵34連隊。ビルマで第15軍司令部。第33師団司令部。 |
資料タイトル | 従軍慰安婦〈続編〉 |
著者、公文書発信者など | 千田夏光 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1978.9.30 |
発行所 | 三一書房 |
ページ | 67-68 |
出典備考 | 注:インパール作戦撤退後、シュエボ郊外のセゴン村に15軍司令部が移転した。その後、メイミョウにあった「清明荘」が乗り込んできた。 |
備考 |
シュエボ5万分の1の地図にシュエボ郊外(北)にThigonがある。証言からセゴン村の位置はここと思われる。現在の地図の同所にセゴン村の表示見えず。
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