出典種別 | その他 |
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現在の地域情報 | 鹿児島県 大島郡 天城町 当部 |
資料にある地域情報 | 徳之島、第22連隊本部のあった当部 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 旅団指揮下のもう一つの主力部隊である、独立混成第22連隊本部のある当部にも慰安所があったと言われている。この慰安所にいたのは朝鮮人だったようだ。この慰安所にいたのは朝鮮人だったようだ。鬼塚義淳連隊長は、敗戦後彼女達が沖縄に連行される時に、あるだけの私物・衣類を持参させている。当時、独立混成第22連隊の初年兵だった作山清重さんも、当部の慰安所の女性について、朝鮮人だと聞いていた。 |
証言者 | |
証言者属性 | |
部隊名 | |
資料タイトル | 奄美諸島の日本軍「慰安婦」 |
著者、公文書発信者など | 菊池保夫 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2018年夏季号 |
発行所 | 日本の戦争責任資料センター |
ページ | 35-36 |
出典備考 | 日本の戦争責任資料センター『季刊 戦争責任研究 第90号』2018年夏季号 |
備考 | 松村省三『当部の今昔』(私家版、2005年)100ページ、塩田甚志『生と死の岐路ー沖縄戦終焉時のドキュメンタリー』(誠広出版、1992年)71ページ、佐山清重からの手紙。 |