出典種別 | 目撃証言 |
---|---|
現在の地域情報 | 沖縄県 国頭郡 本部町 字辺名地 |
資料にある地域情報 | 辺名地 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 金城秀一さんら大宜味大工たちは当初、真部山の陣地壕堀りや便所づくりをしていたが、途中から将校や下士官の慰安所建築に回されたのである。本部町字満名に「ピーヤー」とか「ペーターヤー」と呼んだ慰安所が設けられ約10名の朝鮮人慰安婦が、駐屯部隊を相手としていた。このカヤぶきの「ピーヤー」は辺名地や並里にもあって、軍主催の宴会で酌婦もさせられていたようだ。朝鮮人慰安婦は20代の若い女性たちで1日に25名の兵隊を相手にさせられていたという。彼女たちは、米軍が上陸するとすぐ逃げたようだ。 |
証言者 | 金城秀一 |
証言者属性 | 大宜味の大工 |
部隊名 | |
資料タイトル | オキナワ戦の女たち-朝鮮人従軍慰安婦 |
著者、公文書発信者など | 福地曠昭 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1992.8.30 |
発行所 | 海風社 |
ページ | 65 |
出典備考 | |
備考 | 満名川河口付近の南の、渡久地山入端線(244号線)の道路沿線沿いの細長い地域が字辺名地である。 |