出典種別 | 目撃証言 |
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現在の地域情報 | 沖縄県 沖縄市 字泡瀬 |
資料にある地域情報 | 美里村 泡瀬 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 私は、当時、農林技手で、ここ(知花)から具志川まで、自転車で通っていました。美里小学校に石部隊がいて、嘉手納飛行場建設をしていました。仕事から、野菜の供出係をしていて部隊の人数などの書類をもっていたのですが、今考えると、アメリカがそんなもの別に利用するはずもないのに、上陸の時、みんな焼いてしまいました。慰安所は、新城間(ミーグスクマー)といって、以前から2,3人女をおいてサカナヤーをやっていた所です。このすぐ先です。私も飲みに入ったことがありますが、小さい所です。そこが部隊が来てからは、軍専用になって民間は入れなくなったんです。 ここと同じようなところが泡瀬のピジュルのそばにありましたよ。 慰安所分布表 市町村名:沖縄市 字名:泡瀬 建物:料理屋 期間:S19夏~ 慰安婦・人数:ー 慰安婦・出身地:沖縄 慰安婦・営業形態:サカナヤ 軍隊名:ー 証言者・氏名:中村哲次郎 証言者・出典:直接取材 備考:ピジュルの近く |
証言者 | 中村哲次郎 |
証言者属性 | 地元住民、後の美里村長 |
部隊名 | |
資料タイトル | 第5回全国女性史研究交流のつどい報告集 |
著者、公文書発信者など | 賀数かつ子 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1994.8.24 |
発行所 | 全国女性史研究交流のつどい実行委員会 |
ページ | 19、27 |
出典備考 | 注:古賀徳子は「沖縄戦における日本軍「慰安婦」制度の展開(2)」において「中村によれば、泡瀬商店街の西大通りに面する料亭が慰安所になった」と記している。 |
備考 | 沖縄市の南部の海岸沿いに泡瀬がある。泡瀬の北側のビジュル公園内に「泡瀬ビジュル」がある。 |