出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 沖縄県 中頭郡 北中城村 字喜舎場 |
資料にある地域情報 | 喜舎場国民学校近くの壕 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | そのとき、隣の壕から炭坑節が聞こえてきた。全部女性の声だけにぎくりとした。そっと見にいくと、薄暗い明りのなかに、若い女性が7, 8名いた。よく見ると加賀部隊専属の慰安婦たちで、年配のおかあさんと呼ばれている女性には見覚えがあった。慰安婦といっても軍属であり、食糧は配給していたので、ときどき炊事へとりにきていた。「こちらの壕に牛肉や、缶詰めや、酒があるから食べにこないか」とさそい、宴会がはじまった。この女性たちは九州出身がほとんどであった。前日、解散を命じられ、「自由行動をとれ」といわれ、どうしてよいのか困っているとのことだった。「あす未明に南部の方へいくほうがよい」といって送別会の宴とかわった。不安をふきとばそうと全力をふりしぼって歌う彼女たちの声は、米軍陣地に聞こえないかと心配したくらいだった。翌未明、彼女たちは南部へ向かって出発したが、その後ついに再会しなかった。どこかで戦死したことであろう。ちり紙にも劣る紙幣を後生大事にもっていても、食糧はなく、壕も南部にゆくほど満員になる状態では、身をかくすところもなかったろうし、その生命は、数日ともたなかったのではないかと、気の毒であった。 |
証言者 | 松木謙治郎 |
証言者属性 | |
部隊名 | 石部隊 |
資料タイトル | 阪神タイガース 松木一等兵の沖縄捕虜記 |
著者、公文書発信者など | 松木謙治郎 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1974.7.5 |
発行所 | 恒文社 |
ページ | 31 |
出典備考 | 注:自由解散を命じられた慰安所の場所は不明。 |
備考 |
喜舎場国民学校は現在の北中城小学校。 ※日本軍慰安所マップの地点としては反映させていない。
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