出典種別 | その他 |
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現在の地域情報 | 沖縄県 南城市 玉城字糸数 |
資料にある地域情報 | 糸数壕(アブチラガマ) |
慰安所があった時期 | 1945年2月 |
記載内容 | 初めてアブチラガマに入ったときは、松明やローソクで明かりを点けてゆっくり入って行きました。私たち4,50名で民家側との出入口を開ける作業をしました。糸数部落と壕内部の二手に分かれてツルハシで掘り進みました。作業をしていると暑いので、壕内に流れている川の水で顔を拭きながら作業をしたものです。その後、サーターヤ(製糖工場)の発電機から電気を引いてきました。民家側出入口近くに壕の空気穴があり、その下付近に糸数部落の空家を解体してきて茅葺き木造2階建ての小さな慰安所も造り、朝鮮人慰安婦がそこにいました(見取り図Ⅰ、A地区)。4月に米軍が上陸して、アブチラガマからも戦闘に出かけて行きました。生き残って戦闘からもどってきた兵士らは慰安婦を抱いて、半日過ごしたらまた戦闘に出かけて行きました。少ない慰安婦で、たくさんの兵隊を相手にするのだから可哀相でした。 |
証言者 | 長浜正盛 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 独立混成第44旅団工兵隊 |
資料タイトル | 沖縄の旅・アブチラガマと轟の壕―国内が戦場になったとき |
著者、公文書発信者など | 石原昌家 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2000.6.21 |
発行所 | 集英社 |
ページ | 30-33 |
出典備考 | |
備考 | 南城市は、沖縄本島南部の都市である。南城市のほぼ中央付近に玉城字糸数がある。 |