出典種別 | 目撃証言 |
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現在の地域情報 | 沖縄県 南城市 玉城字富里 |
資料にある地域情報 | 富里三叉路付近の民家 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 玉城村にあった「大和会館」は富里の民家2軒を接収して設営され、富名腰の「敷島会館」は富名腰分教場に設営されていた。・・・ 字富里区の各世帯戦災調査表(5) 番号:596 慰 全壊 屋号:小二郎商店 戸主:嶺井小二郎 |
証言者 | 嶺井小二郎・嶺井和 |
証言者属性 | 地元住民 |
部隊名 | 独立歩兵第15大隊 |
資料タイトル | 玉城村史 第6巻 戦時記録編 |
著者、公文書発信者など | 玉城村史編集委員会 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2004.3.31 |
発行所 | 玉城村役場 |
ページ | 93-96, 554, 558-564 |
出典備考 | 注:古賀徳子「沖縄戦における日本軍「慰安婦」制度の展開(3)」(季刊戦争責任研究2008年冬季号)では、「字富里区では第62師団独立歩兵第15大隊が民家2軒を接収して慰安所「大和会館」を開設した。このうち1軒は、嶺井小二郎・和夫妻がフィリピンで稼いだお金で1941年に新築した2階建ての瓦葺き家であった。夫が軍人召集で留守の間、巡査に強く疎開を勧められた嶺井和は子ども4人を連れて熊本へ疎開した。ところが、後から疎開してきた親戚に、「あんたの家は慰安所になっているよ」と聞かされ、「慰安所にするために自分たちを追い出したのでは」という疑いを感じることになった。その上、戦後帰ってみると家は跡形もなくなっていた。地元に残っていた人から、「友軍(日本軍)が逃げ出すとき、火をつけて出て行ったよ」と教えられた。無断で家を慰安所にされ、家を失った嶺井家は戦後親類を頼って転々とせざるを得なかったという」と書いている。 |
備考 |