出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 沖縄県 那覇市 字上間 |
資料にある地域情報 | 津嘉山から那覇に通ずる道路に面した民家 |
慰安所があった時期 | 1944年10月 |
記載内容 | 部隊が津嘉山・識名の三角兵舎に移動して間もなく、軍の慰安所が開設された。津嘉山から那覇に通ずる道路に面した、丘の民家が開放されて慰安所となった。日曜日にはなかなかの繁盛振りである。月に3~4回、慰安婦の検診が行われた。部隊で古参の軍医が検診に当った。これに同行して軍医の検診結果をカルテに記載した。厳しい軍医ですべて軍隊式である。慰安婦はみんな軍医を嫌っていた。性病に罹患しているものは大声で叱り、その場で営業停止を命じた。勤務とはいえいやな仕事だと思った。 |
証言者 | 竹本兵十 |
証言者属性 | 元防疫部員、陸軍衛生曹長 |
部隊名 | 第27野戦防疫給水部 |
資料タイトル | 沖縄戦従軍記録 二十万人の声なき声 |
著者、公文書発信者など | 竹本兵十 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1994.6.1 |
発行所 | 日本図書刊行会 |
ページ | 39-40 |
出典備考 | |
備考 | 識名園の南西に隣接して上間がある。 |