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資料の詳細

出典種別 その他
現在の地域情報沖縄県 豊見城市 字長堂
資料にある地域情報工場(現在の南部農林高校の敷地)の官舎
慰安所があった時期
記載内容津嘉山に軍の施設として慰安所が3ヶ所設置されていた。・・・
慰安所は、事務所(公民館)・工場(現在の南部農林高校の敷地にあった)・山川駅の近くの民家の3ヶ所にあった。事務所を慰安所として軍が使用したため、事務所は〈仲前殿〉に移すことを余儀なくされた。この慰安所には、10数人の辻の女性が慰安婦として兵隊に「性」を提供していた。慰安婦を監督する女性がいて、慰安婦と民家に宿泊していた。日曜日にもなると〈東花城〉の門まで兵隊が並んでいたという。・・・
工場(南部農林高校敷地)には官舎があって、そこには朝鮮から強制的に連れて来られた朝鮮女性が慰安婦としていた。当時、朝鮮女性を「朝鮮ピー」と呼んで蔑んでいた。
将校用慰安所として、〈内セリー〉を改造していたが、字民が「道の側で風紀上よくないと反対」したため、山川駅の近くの民家に場所をかえた。大迫旦著「薩摩のボッケモン」に、津嘉山に「偕行社」という名の将校専用の慰安所が「十・十空襲」後に開設したと記してあるが、これがこの慰安所であると思われる。また「この慰安所は、料亭を兼用し、大分県の別府からコック1名・会計1名・仲居1名・芸者14名を連れて来た。米軍上陸後、津嘉山の司令部壕に入ったがその後消息不明」とも記してある。
証言者
証言者属性
部隊名
資料タイトル南風原町沖縄戦戦災調査4 津嘉山が語る沖縄戦
著者、公文書発信者など南風原町史戦災調査部会
公文書宛先
発行日1990.6
発行所南風原町教育委員会
ページ19-20
出典備考注:16-17pの地図「日本軍が使用した家」に公民館に慰安所があった旨記されている。ここは津嘉山であり、a-4426を参照のこと。偕行社と言う名の将校専用の慰安所については、既にとったa-4419を参照のこと。ここでは2番目の工場(現在の南部農林高校の敷地)の官舎についてとった。
備考 16-17ページの地図「日本軍が使用した家」に慰安所の位置が記載されている。
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