出典種別 | 兵士の回想録等
|
現在の地域情報 | 沖縄県 島尻郡 北大東村 字ラサ |
資料にある地域情報 | ラサ島 |
慰安所があった時期 | 1944年11月 |
記載内容 | 11月の便船で、突然やっかいなシロモノがやって来た。それは、番頭の卜部某という者につれられた韓国人7名の慰安婦のことだ。もちろん乗船前にわかれば拒否したのだが、島に向かって出発した、となれば手のうちようもない。慰安婦の派遣については、もともと内地を出発するときに、部隊本部でも話が出た。私は、不潔だから島には寄こさないでほしい、といい残してあった。そのため、携行してきたコンドームも本来の役目をはなれ、時計とかその他金属類の湿気よけなどに使われていた。だが、遠路はるばる来た者を、追い返すわけにもいかない。とりあえず、西海岸の最北端にあった職員長屋の空家に押し込むことにした。その後、彼らから事情を聞くと、真偽のほどはわからないが、南方に行こうと沖縄まで来たとき、そこで32軍のある参謀から、ラサ島は緑の天国、あたかも別天地のようだといわれ、まともに信じてやって来たらしい。ところが聞くと見るとでは大ちがい。こんなゴツゴツした岩ばかりの島ならば来るのではなかった、だが、いまさら逃げ出すわけにもいかない、と嘆く。ところが、陸海軍とも、金銭の補給がないのだから、遊ぶにも金が続かない。そのため2か月ほどで閉店休業となってしまった。こうして、私にとっていちばん苦手だった存在も、自然に消滅していった。商売にはならない。そうかといって帰る船は来ない。どうにもお手挙げとなったあわれな一行は、以後は軍の使役。死なば軍ともろとも、貧乏くじを引いた運の悪い一行であった。 |
証言者 | 森田芳雄 |
証言者属性 | |
部隊名 | ラサ島守備隊 |
資料タイトル | ラサ島守備隊記 |
著者、公文書発信者など | 森田芳雄 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1995.6.24 |
発行所 | 河出書房新社 |
ページ | 216-217 |
出典備考 | 注:2Pに「現地にはすでに海軍望楼と中央気象台観測所があり、民間企業として鯛生産業株式会社(現在のラサ工業株式会社)ラサ島鉱業所があった」とある。森田芳雄が持ち帰った陣中日誌をもとに『ラサ島守備隊記』を執筆。陣中日誌は沖縄県公文書館に寄贈された。1997年6月23日付沖縄タイムスにもインタビューが載った。 |
備考 |
南大東島の南方海上に沖大東島がある。別名ラサ島と呼ばれている。
|