出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 沖縄県 宮古島市 平良字下里 |
資料にある地域情報 | 地盛 |
慰安所があった時期 | 未記載 |
記載内容 | 家を建てようとしていたところ、飛行場をつくるからと、徴用された。そして、兵隊にとられ、下地に行かされて兵舎を作らされ、そこで訓練を受けた。坂本大尉の中隊だった。中隊は慰安所を作って、中隊長は月に2回くらい慰安所に行った。自分は中隊長と一緒に行った。200メートルくらい歩いたところにあった。そこには10名くらい女性がいた。三つ(の建物)に分れていたから全部で30人くらいだった。全員朝鮮人で日本語が話せた。・・・ 第3連隊がいたけどその中の第10中隊には50人いて、慰安婦は10人もいた。各中隊に何名、何名とやっているわけ。月に2回証明書とサックをもらった。小隊長の許可がなければ衛生兵からサックがもらえない。月2回くらい来た。証明を見せてくださいと言われると証明とサックを見せてから入れた。 |
証言者 | 佐久田玄徳 |
証言者属性 | 独立速射砲5大隊 |
部隊名 | |
資料タイトル | 戦場の宮古島と「慰安所」12のことばが刻む「女たちへ」 |
著者、公文書発信者など | 日韓共同「日本軍慰安所」宮古島調査団 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2009.9.6 |
発行所 | なんよう文庫 |
ページ | 122-126 |
出典備考 | 現地調査:上里清美、「韓国・沖縄・日本共同調査団」(団長:尹貞玉) |
備考 | 現在の宮古島の行政区画に地盛はない。「宮古島全域ガイドマップ」には宮古島空港の南が地盛である。この付近の行政区画は平良下里である。現在の地図の宮古島の北部半分ほどが平良である。沖縄県立宮古総合実業高等学校を中心に南方向へ延びる一画が平良下里である。佐久田玄徳、新城定吉は同じ場所の証言している。地盛にはバラック2棟以上があったようだ。 |