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資料の詳細

出典種別 目撃証言
現在の地域情報沖縄県 宮古島市 城辺字下里添
資料にある地域情報サズガー
慰安所があった時期未記載
記載内容野原岳にある叔母の疎開先で一緒に過ごしたけど、その叔母は元学校の先生で57歳くらいだった。祖母の家に慰安婦の女性が遊びに来ていた。私は祖母の家に疎開していて彼女たちとは片言の日本語だったけど話もしたりした。叔母と慰安婦は物を交換し合っていたが、門のところには管理する兵隊が監視をしていた。皆朝鮮からも人で、だまされて連れてこられたことも知った。町から疎開していた私も、彼女たちと親しくしていた。ブラウスをもらって可愛がられた。方言ではございましたけれども、その悲しさ……。前に、那覇の自治会館に女たちが集まった時にも話したことがあるけどね。
野原岳の下に「スナガワ」という所があった。すぐ隣に、慰安所があった。建物はそれらしく奇麗にしていたので、目立った。先日、気になって知り合いに電話でも聞いてみたが、野原越にもあったと言われた。とにかく、私が見たのは城辺の「サズガー」にあった慰安所だった。
証言者久貝吉子
証言者属性軍属
部隊名豊師団司令部
資料タイトル戦場の宮古島と「慰安所」12のことばが刻む「女たちへ」
著者、公文書発信者など日韓共同「日本軍慰安所」宮古島調査団
公文書宛先
発行日2009.9.6
発行所なんよう文庫
ページ151
出典備考現地調査:上里清美、ホンユンシン、「韓国・沖縄・日本共同調査団」(団長:尹貞玉)
備考 下里愛子、久貝吉子、U、Y、国仲繁男、荷川取松金、川平フジは下北にあった同一の慰安所を証言していると思われる。現在の地図の宮古島の中央付近に、宮古空港の脇を通る平良・城辺線が友利・砂川線と分岐する地点(野原越交差点の少し南)があるが、その分岐点の少し南にツガ川があり、その東方に佐事川がある。慰安所はこの佐事川の少し北である。沖縄県農業研究センターの南にあたる。慰安所の位置は、宮古市の行政区画上は、城辺字下里添である。
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