出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 沖縄県 宮古島市 |
資料にある地域情報 | 宮古島 |
慰安所があった時期 | 1944年~45年頃 |
記載内容 | 私は、1944年8月から敗戦まで、沖縄・宮古島にいました。そこにあった慰安所は陸軍の専用慰安所でしたので、海軍の私はモグリで行ったのです。何もない島で、民家から離れたところに、慰安所はありました。1・5メートル幅の通路を挟み、向かい合うように、掘っ立て小屋の長屋のような慰安所が並んでいました。ベニヤ板で仕切られていて、1部屋は4畳半ぐらいの広さで、ゴザが敷いてありました。部屋には、20ワットぐらいの豆電球がついていましたね。そこにいたのは、朝鮮人慰安婦が7、8人と、台湾人慰安婦が3人でした。1人の朝鮮人慰安婦は、20歳で、あとは25歳でした。「英子」という名前の慰安婦がいたのを覚えています。・・・ 陸軍の兵隊は、カードのようなものを持っていましたが、なかには、夜抜け出して金を払って入る兵隊もいたようですね。私は「モグリ」ですから、1回1円50銭~1円80銭を支払ました。1時間弱ぐらいです。陸軍は、土、日曜日が外出で、その日は、慰安所の前は長い行列ができていました。宮古島はもともと海軍だけがいましたが、1年ぐらいしてから、満州から引き揚げてきた陸軍の部隊がきました。慰安所ができたのは、1944年~45年頃、陸軍が入ってきてからのことです。 |
証言者 | 海軍 64歳 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 従軍慰安婦110番 電話の向こうから歴史の声が |
著者、公文書発信者など | 従軍慰安婦110番編集委員会編 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1992.6.15 |
発行所 | 明石書店 |
ページ | 58-59 |
出典備考 | |
備考 |