出典種別 | 被害証言
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現在の地域情報 | 地名特定不可能 |
資料にある地域情報 | オオテサン |
慰安所があった時期 | 1937年頃 |
記載内容 | 控訴人Cは、大正9年ないし10年、忠清南道で生まれた。数え17歳の春、10人位の日本人の軍人に、手足をつかまれて捕らえられ、トラックと汽車を乗り継がされ、オオテサンの部隊の慰安所に連れて行かれた。慰安所では、性行為を強要され続けたが、一晩に30、40人から時には50人もの軍人の相手をさせられた。また、軍人から、銃剣で左足の付け根を刺され重傷を負わされたが、その時の傷痕は、今でも消えていない。18歳の時に一度妊娠したが、堕胎手術をされ、一週間後に退院するとすぐに性行為を強要され、19歳の時には淋病に罹患し、激痛があったが、治療を受けている間も軍人の相手をさせられた。オオテサンの慰安所での生活が3年になろうとするころ、慰安所から逃げ出し、天津に行ったが、そこで日本人の軍人に捕まえられ、吉林の部隊の慰安所に連れて行かれヨシムラという大尉の専属の慰安婦にさせられた。 |
証言者 | 盧清子判決では控訴人C |
証言者属性 | 朝鮮人被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求訴訟事件 東京高等裁判所判決 |
著者、公文書発信者など | 東京高等裁判所 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2003.7.22 |
発行所 | |
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出典備考 | 『判例時報』1843号39-40ページ/正式名:平成13年(ネ)第2631号核アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求控訴事件 東京高等裁判所判決 |
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