証言,公文書等,様々な文書を徹底調査

資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報ニューギニア島 地名特定不可能
資料にある地域情報ニューギニア
慰安所があった時期
記載内容その時、私は18歳、軍属としてサイパンの水上基地で働いていたんです。・・・ふと見ると大きな船がゆっくりと近づいて来る。・・・と突然、何の前触れもなく、大きな船体が真ん中からパッと二つに割れて、バラバラになって両端が高く持ち上がって、そして、一瞬の間に、波間に沈んで行ってしまった。それはもう、どうしょうもないほど短い間の出来事でした。「潜水艦だ」「敵の魚雷にやられたんだ」みんなそう思いました。水上基地の目の前で、味方の船が敵の潜水艦でやられるなんてことは大変な出来事です。・・・基地は大騒ぎになった。海軍の兵隊が近くの船に乗り込んで、どんどん繰り出して行く。珊瑚礁の中ですから大きな船はありませんが、大勢の兵隊が手近な船に乗り込んで大急ぎで救助に向かって行く・・・しばらくすると船は次々に戻ってきました。見ると、どの船にも大勢の女たちが乗っている。みんなびしょ濡れで、頭の毛が顔に張りついて、顔がくしゃくしゃに歪んでいる。真っ青で、まるで老婆のように見える。洋服は着てました。女たちは兵隊に助けられながら次々に浜辺に上がってきました。裸足で、みんな幽霊のような姿になってふらふら歩いている。10人、20人ではありません。百数十人はいたでしょう。・・・「どこから来たんだ」と水兵が訊きました。「ニューギニア」へえ、この女たちはニューギニアから逃げてきたんだ。そして陸地に手が届くところまで来てやられちまったんだ。そうか、この女たちはニューギニアで働いていた慰安婦だったんだ。・・・船が撃沈された時救助に行った兵隊が近くに居たので聞いてみると、あの船には何百人という慰安婦が乗っていた。それが魚雷でいっぺんに吹っとんだ。慰安婦たちは全員船倉にいたんですが、魚雷が命中した爆発で四方に撥ねとばされされて、
証言者田中豊吉
証言者属性
部隊名
資料タイトルいま老人たちが重い口を開く 戦火の記憶
著者、公文書発信者など佐賀純一
公文書宛先
発行日1994.12.20
発行所筑摩書房
ページ97-101
出典備考田中豊吉「慰安婦船轟沈」
備考
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