出典種別 | 被害証言 |
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現在の地域情報 | プノンペン特別市 |
資料にある地域情報 | ブノンペン |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 大きな2階建ての家が2つあり、部屋は少なくとも20個はありました。ベトナム人、朝鮮人の女性が10名ほど。兵隊は陸軍で、昼も夜も来て多い時には20人、少ない時でも10 人来ました。朝鮮の女の子2人が死にました。終戦2ヵ月前にタダクマに会い、彼が来ると他の軍人は取らず、時々タダクマの家に泊まることもありました。日本軍がフランス軍に負けるとタダクマがカンボジアに残ったため私も残り、彼の子どもを産みました。日本へ帰ると聞いて韓国に帰してくれと頼んだのですが、ウソを言って帰してくれませんでした。その後、カンボジア人の夫と出会い、3人の子が生まれましたが、ポルポト政権下でひどい苦労をしました。 |
証言者 | 李南伊 |
証言者属性 | 朝鮮人被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | 強制で連れて行かれた朝鮮人軍慰安婦たち3 |
著者、公文書発信者など | 韓国挺身隊研究所・韓国挺身隊問題対策協議会 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1999.10.15 |
発行所 | ハヌル |
ページ | 16-37 |
出典備考 | |
備考 |