| 出典種別 | 兵士の回想録等 |
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| 現在の地域情報 | 天津市 |
| 資料にある地域情報 | 天津 |
| 慰安所があった時期 | 1943年9月 |
| 記載内容 | 天津時代は教育隊当時であり、子供らしさが抜けきらぬ頃とて純真であった。別にほれたともはれたとも思わず、徒らに日本人が恋しく、身の危険もそれほど感じない時分であった。地方に居ればまだ子供である。だが軍隊に籍を置き、兵隊の階級を与えられ、女を知らぬとあっては、というので第2回目の外出のとき、黒木や山本等とヤンチョに乗って支那Pへ行ったのが初めてであった。それ以後、ちょいちょいP屋通いはしたが、他の連中のような深入りはせず、日本租界で「しるこ」を飲んで楽しんでいた。 |
| 証言者 | 畔柳良一 |
| 証言者属性 | 日本軍兵士 |
| 部隊名 | 北支派遣軍隼15301部隊 |
| 資料タイトル | 誰が為にあの時に 元少年飛行兵の手記 比島戦闘 |
| 著者、公文書発信者など | 畔柳良一 |
| 公文書宛先 | |
| 発行日 | 2007.6 |
| 発行所 | 私家版(高知市) |
| ページ | 30 |
| 出典備考 | 注:著者略歴に「昭和18年9月 北支派遣軍・隼15301部隊付教育隊(兵長)」とある。 |
| 備考 |
著者略歴に「昭和18年9月 北支派遣軍・隼15301部隊付教育隊(兵長)」とある。 ※日本軍慰安所マップの地点としては反映させていない。
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