出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | パゴー管区 パゴー県 パゴー郡区 チャウタン |
資料にある地域情報 | キャウタン |
慰安所があった時期 | 1945年1月 |
記載内容 | 第49師団は乙編成の新編成部隊、しかもビルマに転用されたのが昭和19年末、キャウタンに布陣したのが昭和20年1月という部隊だったため、軍から慰安婦の“配給”がなかった。本当のところは、もう本土から慰安婦を送る輸送力もなかったからでもある。そこで、「現地女性を集め慰安所を開設せよ」兵隊たちのことを考えた師団後方担当参謀は、そんな命令を下した。ここでも後方担当参謀としては、現地女性への兵隊の暴行を心配したのであろう。インパールは敗れ、ミートキーナも雲南戦線も崩れ、ビルマ全面崩壊のきざしが見えるころだけに、はたして現地女性、バーマ人の女性が命令どおり集まるか疑問だったが、なにせ参謀の軍命令であるである。補給担当者はあるいは札束をばらまき、あるいは銃剣をちらつかせ、ともかく30人のバーマ人女性を駆り集めて来たという。 |
証言者 | 野北九州男 |
証言者属性 | 日本軍兵士・軍医 |
部隊名 | 第49師団 |
資料タイトル | 従軍慰安婦〈続編〉 |
著者、公文書発信者など | 千田夏光 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1978.9.30 |
発行所 | 三一書房 |
ページ | 53 |
出典備考 | |
備考 | アジア歴史資料センター:C141060191800のビルマ50万分の1の地図のペグーの南にチャウタンがある。現在の地図の同所はKyauk Tanである。ヤンゴン管区の南端にもチャウタンがあるが、本資料で「ペグーの奥」とされているから前者であろう。 |