出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | パゴー管区 タウングー県 タウングー郡区 |
資料にある地域情報 | トングーの航空隊近く |
慰安所があった時期 | 1944年11月 |
記載内容 | 私達将校は、同じ慰安所では気がひけるので、第3大隊付主計の松村少尉に先導され、大隊長以下の将校が、航空隊近くに既に設けられていた慰安所に時々通った。松村主計少尉がわざわざ交付所まで誘いに来てくれた。何台もの自転車が、飛ぶように夜の街を抜け、郊外の飛行場に向かって走った。媚めいた夜風が頬に心地よかった。それを私達はユーモアたっぷりに「銀輪部隊」と呼んだ。その頃、私に出戦手当が支給されていた。懐具合は豊かであった。150円ぐらいだったが、そんなことに使う以外は余り使い道はなかった。一晩遊びに行っても、5円程度だった。でも、それぞれのグループが日を違えて訪問したので、後日収容所での雑談で、星井軍医中尉と私が、同じ中国女性の「清香」を相手にしていたのがわかって、「では君とは義兄弟なんだ」と言って、大笑いした。・・・ 1月も中旬を過ぎた頃、師団長岡崎中将閣下の巡視が行なわれた。そのあとで、師団長、参謀を交え、連隊将校の会食が開かれた。お寺のお堂のようなところだった。・・・武田少尉が接待のために慰安所の女性を連れてきた。彼女達はそれぞれ美しく着飾って、精一杯の微笑をたたえ、会場の雰囲気を盛り立ててくれた。 |
証言者 | 上條彰 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 第2師団 |
資料タイトル | あの山を越えれば 第二師団元主計少尉の追憶 |
著者、公文書発信者など | 上條彰 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1985.7.15 |
発行所 | 私家版(野田市) |
ページ | 57-59 |
出典備考 | |
備考 | アジア歴史資料センター:C141060191800のビルマ50万分の1の地図に「タウングー」がある。同ヵ所には手書きで「トング―」と記されている。ペグーの北方である。現在の地図の同所にはタウングーがある。 |