出典種別 | 公文書・軍関係資料等 |
---|---|
現在の地域情報 | マンダレー管区 ピンウールウィン県 ピンウールウィン郡区 |
資料にある地域情報 | メイミョー |
慰安所があった時期 | 1942年 |
記載内容 | メイミョーでも、同じような規則が施行されていたけれども、同地駐留部隊の数が多かったため、一部には、特定の部隊に一定の割り当て日を用意する施設もあった。例えば、日本人慰安婦の施設である第一フルサは、次のような割り当てをしていた。 日曜日 第18師団司令部 月曜日 第18師団騎兵連隊 火曜日 第18師団工兵連隊 水曜日 昼間 健康診断 休業 夜間 将校のみ 木曜日 第18師団衛生隊 金曜日 第18師団山砲兵連隊 土曜日 第18師団輜重兵連隊 |
証言者 | M739と慰安婦20名 |
証言者属性 | 民間人捕虜(慰安所経営者)、慰安婦 |
部隊名 | 第18師団の各隊 |
資料タイトル | 心理戦 尋問報告 第2号 |
著者、公文書発信者など | 東南アジア翻訳尋問センター |
公文書宛先 | |
発行日 | 1944.11.30 |
発行所 | |
ページ | |
出典備考 | 『従軍慰安婦資料集』吉見義明、1992.11.27、大月書店、462ページ |
備考 | 現在の地図のマンダレー東方にメイミョーMaymyoがある。ピンウールウィンPyin Oo Lwinとも呼ばれている。ちなみにアジア歴史資料センター:C141060191800のビルマ50万分の1の地図では「マイミヨ」とある。日本軍はメイミョウ、明妙などと呼んでいた。 |