出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | マンダレー管区 ピンウールウィン県 ピンウールウィン郡区 |
資料にある地域情報 | メイミョー |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 第18師団の兵士が、ビルマのメイミョーの光明荘という軍慰安所で出会ったマリ子という日本名をもつ朝鮮人女性から聞いた話によれば、彼女は、下関に住んでたとき「対馬の陸軍病院で雑役婦を募集しているから行かないか」という話を聞き、紹介人が朝鮮人の産婆で信用できる人なので応募した。約100名の女性と一緒に海南島の軍慰安所に送り込まれたという。 |
証言者 | 山口彦三 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 第18師団 |
資料タイトル | 従軍慰安婦 |
著者、公文書発信者など | 吉見義明 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1995.4.20 |
発行所 | 岩波書店 |
ページ | 91 |
出典備考 | 山口彦三『ビルマ平原 落日の賦』 |
備考 | 現在の地図のマンダレー東方にメイミョーMaymyoがある。ピンウールウィンPyin Oo Lwinとも呼ばれている。ちなみにアジア歴史資料センター:C141060191800のビルマ50万分の1の地図では「マイミヨ」とある。日本軍はメイミョウ、明妙などと呼んでいた。 |