出典種別 | 兵士の回想録等
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現在の地域情報 | マンダレー管区 ピンウールウィン県 ピンウールウィン郡区 |
資料にある地域情報 | メイミョウ |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 司令部は英人の造った赤煉瓦の立派な建物の中にあった。師団の直轄部隊も司令部と共にメイミョウに駐屯していた。私の任務は副官部に新設された”恩賞班”の仕事を手伝うことであった。陸軍省から属官が派遣され、将兵の“叙位叙勲”、死傷者の現認証明などの事務手続きなどをするための助手のようなものであった。・・・こんな遠いビルマの果てにも、娘子軍が来ていた。日本人、中国人、朝鮮人と雑多であるが、荒んだ兵隊達のために軍から配属されたものである。彼女達のことを軍隊では慰安婦と称している。兵隊達の間では“ピイ”と呼んでいる。朝鮮娘には“朝鮮ピイ”といい、中国の娘のことを“チャンピイ”または“広東ピイ”とも言っている。この戦線の兵士達はほとんど中国大陸での経験者が多いため、自然、彼女等のことも中国式に呼んでいるのであろう。この慰安婦のいるところを慰安所と言っているが、兵隊達は昼間の外出時間を利用して遊ぶのである。部隊ごとに外出日も違っているが毎日繁盛している様子である。将校達はいつも外出外泊は自由となっているから、もっぱら夜間を利用しているようで、ほとんどが”日本ピイ”のところで遊んでいるようである。 |
証言者 | 川内太郎 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | ビルマの土 |
著者、公文書発信者など | 川内太郎 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2004.11.15 |
発行所 | 文芸社 |
ページ | 48-50 |
出典備考 | |
備考 |
現在の地図のマンダレー東方にメイミョーMaymyoがある。ピンウールウィンPyin Oo Lwinとも呼ばれている。ちなみにアジア歴史資料センター:C141060191800のビルマ50万分の1の地図では「マイミヨ」とある。日本軍はメイミョウ、明妙などと呼んでいた。
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