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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報マンダレー管区 ピンウールウィン県 ピンウールウィン郡区
資料にある地域情報メイミョー
慰安所があった時期
記載内容そうして、一方では銃撃を加えながら、一方では1機が伝単(ビラ)を撒いていった。「あなた方は何故そんなみじめな姿で戦いをしなければならないのか、あなた方の故郷には1日としてあなた方の事を忘れないでいる肉親がある。軍司令部の連中は、あなた方が血みどろの戦いをしている間も、メイミョーの避暑地で女を抱きながら歓楽に耽っている。(後で分かったが、これは本当のことであったらしい)軍閥野望の犠牲にならないで早く降伏しなさい。そしたら食糧も衣服も医療も充分に与えます」等々、いろいろと書いてあった。そういう伝単をみると、デマ宣伝だと思いながらも、兵隊達の胸には少なからぬ動揺があった。「牟田口の馬鹿野郎」と皆口々に罵りあった。
証言者﨑元孝
証言者属性日本軍兵士
部隊名
資料タイトルビルマの戦い-烈兵団一通信兵士の手記-
著者、公文書発信者など﨑元孝
公文書宛先
発行日1982.9.15
発行所出水文化の会
ページ119
出典備考
備考 現在の地図のマンダレー東方にメイミョーMaymyoがある。ピンウールウィンPyin Oo Lwinとも呼ばれている。ちなみにアジア歴史資料センター:C141060191800のビルマ50万分の1の地図では「マイミヨ」とある。日本軍はメイミョウ、明妙などと呼んでいた。
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