出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | シャン州 チャウメ県 チャウメ郡区 |
資料にある地域情報 | チャウメ |
慰安所があった時期 | 1943年 |
記載内容 | ビルマ東北部シャン州に駐屯するチャウメ警備隊本部に、或る日奇妙な命令が伝達された。昭和18年の雨期が明けて、これから乾期に向かう10月ごろのことだ。・・・「指揮下の部隊より乙装備の2箇小隊を編成して現在地を出発し、行軍によってラシオに向かって前進せよ。該地に到着後は直ちに反転、再び出発地に帰営すべし。行動期間は2週間以内とす。」本文はそういう行軍演習実施の命令書で、そこまではとり立てて問題はない。目的地のラシオは龍兵団が警備している平穏な町で、ここから約150キロほど離れている。・・・ 「今からそう心配するな、やってみりゃあ何とかなるよ、たかが2週間ぐらいでガタガタ言うこつもなかろう。まあ遠足にでも行く心算で気楽にやれ、帰って来たらうめ合わせに腹一杯うまいものを食わしてやるよ、そしてお前たちは慰労休暇をもらって毎日慰安所行きだ」と呑気に言い、それにつられて皆も白い歯を見せて笑う。シャン州は産物の豊かな地域で、部隊がここに駐屯してから兵隊たちは飽食気味だ。誰も血色がよくのんびりした日常だった。それでも食物に贅沢な奴はブラリと町に出る。市場に行くと華僑の中国料理店があったし、ビルマ人の食堂もある。牛乳をタッブリ入れてくれるインド人のコーヒー店の前には慰安所もあって、ここは何不自由のない第一装(軍隊用語で第一級の意味)の土地であった。 |
証言者 | 三浦徳平 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 一下士官のビルマ戦記 ミートキーナ陥落前後 |
著者、公文書発信者など | 三浦徳平 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1981.4.30 |
発行所 | 葦書房 |
ページ | 66-67、69 |
出典備考 | |
備考 | 現在の地図のラシオの南西方向にチャウメKyaukmeがある。ちなみにアジア歴史資料センター:C141060191800のビルマ50万分の1の地図の同所にはチャウメやキャウメなどの地名は見えず。新旧の地図を比較すると現在のチャウメは旧地図ではマーンカーと思われる。 |