記載内容 | その後、軍隊の移動に伴われ、香港から陸軍の船でシンガポールを経てビルマに連れて行かれた。途中原告高の乗った船が潜水艦の攻撃を受け、原告高はその轟音で右の耳の聴力を失っている。ビルマまでは3ヵ月ぐらいかかっている。ビルマに着いてからは、軍隊のトラックに乗せられ山奥まで連れて行かれた。そこには真新しい「慰安所」の建物が2棟建てられてあった。台北に召集された18人はここまでずっと一緒であったが、原告高らの後から朝鮮から連れてこられた女性たちも着いて、もう1棟の「慰安所」の建物で性行為を強制されていた。「慰安所」があった場所は、原始林の中で、兵隊たちは30分かけて徒歩で通って来ていたが、原告高らは、女性であり身支度もなく、戦争中で安全な道などないことから、柵が無くとも逃げ出すことはできなかった。食事も、軍隊から米・野菜を支給されて、原告高ら女性たちが自分たちで作り、必要な買い物も兵隊に頼んでラシオやランカンで買ってきてもらうしかないという、外部と隔絶された監禁状態で、全生活を軍隊に支配されていた。この「慰安所」を利用した部隊の名前はタツ部隊であった。「慰安所」は、台湾のおばさんとお姉さんと呼んだ2人と九州から来た日本人のおばさんと呼ばれる女性の3人で管理していた。兵隊は2元、将校は4元払っていたが、女性たちには10日に一度精算して支払われていたが、原告高が留守宅送金した金銭は届いていなかった。身体検査は、日本の軍医が月に3回位来ている。 |