出典種別 | 兵士の回想録等 |
---|---|
現在の地域情報 | 地名特定不可能 |
資料にある地域情報 | 泰緬鉄道による輸送途中 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 4月には我が方面軍指揮下のビルマ国民軍司令官アウンサン中将の反乱などがあってからは撤退準備の為に、不急不要の人員物資を、安全地帯のバンコックに下げる任務も重なり、此れには映画“戦場にかける橋”で有名な「泰緬鉄道」を、数回往復利用して、其の任に当ったが此の輸送途中に起きた、出来事の一部を記しておく事とする。・・・数日運行して不定時の停車場に着いた時、前の車両に乗っていた九州門司の遊郭F楼の女将が引き連れた、広東姑娘の従軍慰安婦約20名の一行から「今、護衛の兵隊さんは年寄りだから、若い兵隊さんに代わって下さい」との申出が班長にあり、私に白羽の矢が立ったので早速、銃の実包だけは抜いて軍装を整え、持場を離れ隣の貨車に移ったが、其処は彼女達が床にびっしりと座って居て、足の踏み場も無く、女将さんが「貴女たち、兵隊さんに席を譲って上げなさい」と声をかけると彼女達は、何かと話合いながら、膝を曲げればなんとか横になれる位の場所を空けて呉れ、翌朝迄仮眠中も、汽車は走行を続けて目が醒めるのと夜が明けるのと、汽車の停まるのが殆んど同時であった。 |
証言者 | 福川祐一 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 第18師団通信隊留守隊の西部第53部隊 |
資料タイトル | 五十年目の証言-戦争体験記- |
著者、公文書発信者など | 石戸敏治編 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1995.8.15 |
発行所 | 私家版(佐賀市) |
ページ | 195-196 |
出典備考 | 福川祐一「フーコンの戦い」 |
備考 |
女性たちがどこの慰安所にいたのか、向かうのかは不明。 ※日本軍慰安所マップの地点としては反映させていない。
|