出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 地名特定不可能 |
資料にある地域情報 | タンピゴンからメザリの間 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | ここはタンピゴンだ。・・・私たちはただちに山中に向け、約30キロのメザリに向かう。・・・後ろの方で、何か動物らしい大きな泣き声が聞こえ、女性の悲鳴が聞こえた。「おい象が出たぞ、気をつけろ」そのあとから、「だれかが踏み殺されたぞ」後で聞けば、随行していた慰安婦が、胸部を踏みつけられ、即死したということであった。駆けつけた軍医は手だてもなく、苦しむ彼女を眠れるよう処置し埋葬された。 |
証言者 | 斉藤新二 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 第28軍司令部軍楽隊、扶桑隊 |
資料タイトル | 軍楽兵よもやま物語-第二十八軍軍楽隊ビルマ戦記- |
著者、公文書発信者など | 斉藤新二 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1995.2.28 |
発行所 | 光人社 |
ページ | 102-103 |
出典備考 | 撤退中に死亡した「慰安婦」に関する記述。慰安所の位置は不明。/注:本証言の撤退中の事故は別の資料(笠置慧眼『ああ、策はやて隊』)にも記されている。直接、事故を目撃したわけではないが、死亡した慰安婦の墓標を見ている。笠置慧眼の証言は次のとおり。「さて、元気な我々本隊は翌日メザリを出発したが、わずか30分ぐらい行軍したところで、前々日出発させた重症患者たちに追い着いてしまった」「彼らを追い越し、しばらくたってからであった。道路の左手に、人の背の高さほどの木に墨痕も鮮やかに「山口ツヤ之墓」と書いた墓標が建っていた。「以前、女の人が野象に踏まれて死亡したという噂を聞いていたが、本当だったんだなァ」と思いながらそこを通過した。この女性は翆香園の女だったので、下級将校の私には縁がなく、従って、どんな顔をしていたかは知らなかった」。はやて隊も軍楽隊も同じ軍の隷下にあって、同じ方向に向かって撤退していたが、両者間には時間差があったのであろう。軍楽隊の斉藤が目撃した象による死亡事故の数日後に、笠置がその事故により建てられた墓を目撃したのである。笠置が以前、噂で聞いたというのは、部隊の会報などで伝えられたからであろう。しかし、斉藤はメザリまでの間だというが、笠置はメザリを出発して直ぐのところといい、事故の場所に食い違いがある。笠置の資料には傭人隊のリストが添付されているが、山口ツヤは芸名「ひとみ」で、リストでは戦死とされている。この事故では「椎葉ヨシエ」と「五十嵐信一」も負傷した。五十嵐は負傷にも拘わらず椎葉を背負って救助したという。先のリストには椎葉は芸名「笑顔」で、戦傷と記されている。 |
備考 |
撤退中に死亡した「慰安婦」に関する記述。慰安所の位置は不明。 ※日本軍慰安所マップの地点としては反映させていない。
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