出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 地名特定不可能 |
資料にある地域情報 | シッタン河 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 大隊はラウサウクより転進し、モーチ~トングー道を前進し、モーチ道23哩地点にあるバロー橋付近で第55師団と守備を交代し、英印軍に対し持久すると共に策集団のシッタンの渡河撤退を援助すべく同地点に向かった。・・・大隊はバロー橋(既に破壊されていた)付近で、前守備隊は一ヶ聯隊の守備範囲を一ヶ大隊で守備するのであるから、拡範囲防禦の原則に基づき要点に監視兵程度の兵を配置し、主力を後方に拉置し軌道により敵の進出した方面に進出してこれを撃退する方法をとった。・・・或日我拠点に日本の女性(朝鮮人)2人が逃避して来て、敵の間隙をぬいシッタン河を筏で泳ぎ逃れ来たとの事であった。それに1人は臨月の大腹であったので、これを収容して、すぐに病院に送ってやった、然し入院直後出産しこれが原因で死んだとのこと、可愛そうなことをした、産前の無理がたゝったのだろう。 |
証言者 | |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 歩兵第113連隊第1中隊 |
資料タイトル | ビルマ雲南に埋もれた戦史 鎮安街守備隊 |
著者、公文書発信者など | ビルマ従軍歩兵第113連隊(龍6734部隊)編 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1990.2.6 |
発行所 | 第1中隊想い出の記編集代表 |
ページ | 240-242 |
出典備考 | 「逃避してきた」との記述。慰安所に関しては不明。 |
備考 |
「逃避してきた」との記述。慰安所に関しては不明。 ※日本軍慰安所マップの地点としては反映させていない。
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