出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 地名特定不可能 |
資料にある地域情報 | ペグー山脈 |
慰安所があった時期 | 未記載 |
記載内容 | 「おい、なんだなんだあの声は?」と松山がいう。私達は一時だまってきき耳を立てた。女の嬌声らしい。「ピー公だろう」大里がいう「将校の奴等、こんな所まで来てうまくやってやがる」と松山も不平だ。「戦争はまけ戦しかできないくせに、遊ぶことは一人前だ。こんな所まで来てまだピー買いか。石でもぶつけてやれ」と私はいった。たまらない不満が胸にこみ上げて来るのだ。「まったくですねぇ、今頃食うや食わずでジャングルの中をさまよっている兵隊がたくさんいるのに、それを考えるとピーを相手に、ちちくれていることも出来まいに、将校は薄情ですねぇ」と隣の木の下に、まる2日熱にうなされて寝ていた、乞食のようによごれた服に髪とヒゲのぼうぼうに生えた兵隊がいった。この兵隊の話しでは、邦人も大部おり、子供やおばあさんの方もいるそうである。看護婦もピー公(娼婦)も大部逃げて来ており、毎夜将校宿舎では大さわぎしているということであった。 |
証言者 | 梅田建三 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | うじ虫兵隊 ビルマ脱出記 |
著者、公文書発信者など | 梅田建三 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1952.11.20 |
発行所 | 蒼樹社 |
ページ | 24-25 |
出典備考 | |
備考 |